音楽歴

4歳~プロになるまで

4歳、姉がピアノを弾いているのを隣で真似していたのがきっかけでピアノを習い始める。

7歳、ヤマハ音楽教室(日響楽器)の「ジュニア専門コース」に入り、ピアノ、エレクトーン、楽典、ソルフェージュの勉強をする。

本格的な作曲コースにも通い始める。

 

幼少時に自然に身についた絶対音感や音楽的勘を活かし、クラシックよりも、楽譜を使わないで好きな曲を自由に弾く楽しさにはまり、

そして徐々に、即興でその時々の気分だったり、思い描いた情景のイメージ等を、気持ちをたっぷり込めて弾くスタイルを得意とするようになり、その頃から自己流の個性を出していくことに時間をかけるようになる。

 

クラシック系は、小学生~中学生にかけて、毎年開かれるピティナピアノコンペティション、JOC(ジュニアオリジナルコンサート)、JPF(ジュニアピアノフェスティバル)に出演。

本選出場を多数経験。JPFでは銀賞を2度受賞、ピティナC級本選にて優秀賞受賞。

 

当時一緒に音楽を勉強していた良きライバル、若井俊也氏(現東京在住ジャズベーシスト)がドラムを始めたのがきっかけで10歳の時にドラムも始める。

中学1年の時、ヤマハ音楽能力検定制度(ヤマハグレード)ピアノ演奏グレード5級に合格。

 

2000年、当時のジャズの名門・市立千種台中学校ジャズオーケストラ部にドラムで入部しビッグバンドジャズに出会う。

ビッグバンドジャズドラムを始め、ここから人生が加速していく。

 

中学2年生の時、神戸で開催された「Japan Student Jazz Festival 2001」にてドラムでナイスプレイヤー賞(個人賞)を受賞。

その頃から、プロへの夢を抱きだす。

 

2003年、ジャズビッグバンドの部活がある、という理由のみで市立工芸高校に入学、「Kogei High-sonic Jazz Orchestra(KHJO)」に入部。

ほぼ同時期に名古屋の中高生ビッグバンド「Free Hills Jazz Orchestra(FHJO)」にも所属。

ジャズピアノ、ティンバレスも始める。

年間約50~60回の演奏会に出演し経験を積む。

 

高校1年、東京での「Japan Student Jazz Festival 2004」にてナイスプレイヤー賞をピアノで受賞(FHJO)。

 

高校1年冬、Kogei High-Sonic Jazz Orchestra(工芸ハイソニックジャズオーケストラ)のコンサートマスターになり、2年間務める。

バンドのまとめ役としてユニークな練習内容を取り入れ、2年連続「Japan Student Jazz Festival」にて団体賞を受賞。

 

高校3年、神戸での「Japan Student Jazz Festival 2005」にてナイスプレイヤー賞をドラムで受賞(KHJO)。

 

東京の「Japan Student Jazz Festival 2006」ではナイスプレイヤー賞をピアノとドラムでダブル受賞(FHJO)。

2つの楽器での同時受賞は、歴史ある全国大会で史上初の快挙。

また、通算受賞回数(5回)も歴代最多。記録を塗り替えられることは無いだろうと言われている。

 

ディズニーランドや愛知万博での出演、テレビ番組の出演、ラジオ収録等の経験もする。ケイコ・リー氏、原信夫氏との共演も。

 

今までの活動履歴が評価され、2006年、甲陽音楽学院に推薦入学。ビッグバンドだけでなく、少人数編成のジャズ、作曲、アレンジも始める。

 

 

プロドラマーとして活動開始~ピアニストになるまで

甲陽音楽学院在学中よりプロドラマーとして活動開始。

 

鈴木沙織(vo)+カルテット「Simon Tears」を中心に活動。

荒川B琢哉ラテンビッグバンド「Big Band of Latino」、宮川純オルガントリオ「Banana Spot」、纐纈歩美カルテット「Banana Space」等、様々なバンドで活動し経験値を上げる。

 

竹下清志氏、水野修平氏、島田剛氏、植田ひとみ氏等一流ミュージシャンとして活動されている甲陽音楽学院の講師陣、

また、学院教務スタッフや先輩、同期生、後輩達の協力のお陰様で、ハイペースで演奏活動を広げていく。

 

2007年、自己のプロ・アマチュア合同ビッグバンド「United Jazz Community」を、自らリーダーとなり結成。精力的にライブ・イベントに参加。

結成間もないころは「Buddy Rich楽団の楽曲のみ」にこだわって演奏していたが、名作編曲家・山本翔太氏との出会いにより、オリジナル曲、オリジナルアレンジを提供していただくようになり、レパートリーの幅を増やしていく。

 

2008年、竹下清志氏のバンドでSTAR★EYES、島田剛氏のバンドでjazz inn LOVELYにデビュー。

 

2008年3月に同学校を卒業し、東海地方を中心に全国で様々なバンド、セッションにて活動を更に広げる。

 

島村楽器のドラム講師も勤める(2008年4月~2015年9月)。

 

小濱安浩氏、藤山ET英一郎氏、倉田大輔氏、納谷嘉彦氏、日景修氏、後藤浩二氏等の出会いにより、多大な経験をし、技術だけでなく、音楽家として大切な事、その他数々の事を学び、人生の財産とも言える時間をたくさん共有させていただく。

2009年2月~8月、日本の大御所ピアニスト・納谷嘉彦氏のカルテットのレギュラードラマーを務める。大きく成長するチャンスを得る。

クラシックを名古屋フィルハーモニー交響楽団パーカッショニスト・和泉正憲氏に師事。ドラム奏法を改めて見つめ直し、表現の幅をより広げる。

 

2010年4月から音楽工房CONにて講師を勤めており、それがきっかけで音楽療法、福祉・療育機関にも関わる。

音楽工房CONにて山田広美氏と出会い、高齢者を対象とした認知・うつ予防、口腔ケアの音楽療法アシスタントとしても活動。

 

B'zの稲葉氏のソロアルバムにも参加しているギタリスト・関将氏のバンドにも加入。

2012年までレギュラードラマーとして活動し、関将氏プロデュースによって(ギタリストとしても参加)制作された山田広美氏の1stアルバムに参加、ツアーを回る。

 

2010年、自身の想いをこめたオリジナル曲で気持ちたっぷりに感情表現する演奏がしたい、という気持ちが高まり、自身のリーダーバンド、「Pinky」を結成。

jazz inn LOVELY、STAR★EYES、Intelsat等に出演。

 

2011年春、プロとして更に上を目指し、自己の率いるビッグバンド「United Jazz Community」は解散。

 

2011年7月、ピアニスト椎名豊氏と共演し、多大な影響を受ける。

 

2011年9月より、サンバジャズユニット「みそバナナカルテット」に加入。新たな世界観を広げる。

メンバーはマルセロ木村氏(リーダー)、大久保健一氏、杉丸太一氏(サポート)。マルセロ木村氏のソウルフルでハートフルな人柄・演奏、人望の熱さに感銘を受ける。

 

2011年秋、ここまでの経験から今までの自分と向き合い、今後の音楽人生について深く考えるきっかけがあり、人生最大の悩みを抱える。

「もっと魂からの想いを全面的に音で、自由に表現したい。もっと自分の気持ちを全開で出したい。そうでなければ"ウソの音"になる。」

と、数ヶ月間悩む。そして、一つの結論を出す。

 

【自分の個性を100%活かしきることをしよう。】

 

その結果、2012年2月16日より、「即興ピアニスト」としての活動にもチャレンジすることを決意。

ドラマーとしての仕事が激減するかもしれない。「プロとして2つの楽器を扱うなんて中途半端だ」と周りから批判されるかもしれない。

それでも、覚悟をして、人生をかけて決断をした。

 

「自分を信じて、真っすぐ前へ突き進むだけ。」

 

 

ピアニスト活動開始~2014年終わりまで

ピアノの演奏活動を少しずつ始める。Youtubeでのアピールも行っていく。

ソロでの演奏をメインにすることで、演奏上の縛りを一切なくし、100%感情を出し切る演奏を目指す。ピアノのブランクは長いが、意を決してチャレンジし、自分を信じて前へ前へと突き進む。

 

また、ドラムの仕事はかなり減ったが、それでもマルセロ木村氏、杉丸太一氏等ソウルフルなミュージシャンからの支持は集め続け、自分と強烈にマッチするプレイヤーのみと自然と引き寄せ合うようになる。結果としてそれがプラスに働き、自分の個性を更に磨くきっかけにもなる。

 

こうしてピアニストとしてもドラマーとしてもポジションが確立され、今までの経験や知識を活かし大きな躍進を目指す。

 

2012年3月、自己の率いるバンド「Pinky」は津島「くれよん」でのライブを最後に解散。

2012年11月11日、意気投合した杉丸太一氏、マーニャ氏と共に、新しいユニット「Soul369」を結成。ドラムを担当。

音楽で世界中の人々に愛と幸せと夢を発信していくという気持ちをシェアし、動き出す。

2013年1月、このトリオでアメリカ・カリフォルニア(ロサンゼルス、サンディエゴ、サンフランシスコ)へ。演奏は大成功。

このメンバーで日々魂をシェアし、また自身の演奏活動、音楽療法活動、福祉との関わり、講師活動で様々な人と出会い考えさせられることで、一つの揺るがないコンセプト、生き様が生まれた。

 

それは、【全力の愛と魂で人々の幸せを願う音楽活動を死ぬまで続ける】。

 

「今まで自己満足で音楽をしていることも多々あった。でもそれはもうおしまい。とても空しく何のために生きてるのかがわからなくなってしまったから。これからはたくさんの幸せをたくさんの人と共有したい!そして、その幸せを連鎖させて世界中に広げていきたい。」と浅田は力強く語った。

 

2013年より、即興ピアニストとしての活動を公の場で本格的にスタート。  

2013年2月、マルセロ木村氏の意向でサンバジャズユニット「みそバナナカルテット」は解散。

その後様々な出来事があり、「Soul369」も解散。

これからは、自分なりの「全力の愛と魂で人々の幸せを願う音楽活動」と向き合っていく。

 

2013年8月、音楽教室あもーるを設立。たくさんの人が心豊かになれる教室・自分にしか作れない教室を目指す。

2013年11月、マルセロ木村氏の1stアルバムにドラムで参加。日本、ブラジル等で好評を得る。

2014年1月、浅田亮太ソロピアノ1stアルバム「愛と感謝と幸せと」をリリース。心が豊かになる音楽として多方面から好評を得る。

 

自身がドラマーとして率いるジャズユニットは今までメンバーを固定していなかったが、2014年8月、長瀬良司氏(トランペット)、近藤有輝(ピアノ)、祖父江憂貴(ベース)を迎え、固定メンバーで活動していくことになる。

自身のジャズユニットでは不特定多数の人を対象にしたかったため、ジャズハウスのような有料コンサートではなく、地域のイベントやショッピングセンター、アウトレットモール等誰でも無料で観ることができる場所での演奏に特に力を入れる。

 

2014年は即興ピアノコンサートや福祉要素を取り入れた演奏、自身が率いるジャズユニットを軸に、教室活動や音楽療法活動にも積極的に動いた。今までの人生での自身の考え方や行動を見つめ直し、大変多くの学びになる年になった。

様々なスタイルの音楽活動と出会い、異業種とのコラボレーション企画も数多くこなし、学びになることであれば何でも取り組み続けた。

 

2015年~

20歳から稼働していた島村楽器での講師業も、2015年9月をもって退職。

その後音楽工房CONも退職。

教室活動は音楽教室あもーるに全てを捧げる。自分の進むべき道を極めるための環境を整え、再出発する。

 

2015年1月、テレビさいたまに出演。ソロピアノを披露する。これを機に問い合わせが殺到する。

2016年8月、2ndソロピアノアルバム「愛と感謝と幸せとⅡ ~全力即興ピアノ集~」をリリース。

2017年1月、音楽教室あもーる千種区光が丘教室を新しく開校。

2018年2月、音楽教室あもーる緑区大将ケ根教室を新しく開校。

 

現在も、一日一日の経験の積み重ねを大切に、様々な音楽活動を行っている。

愛と感謝の気持ちを忘れず、人々の笑顔、幸せを願って、今日も活動する。

 

【全力の愛と魂で人々の幸せを願う音楽活動】は、生涯続く。